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2005年03月31日

野狐禅和尚の辻説法『山形拄杖子(さんぎょうのしゅじょうす)』№714

 この句も公案に関連しているので、詳しくは述べないが、表面上の意味は「山から切り出したままの姿で何の手も加えていない杖」です。行脚する禅僧にとって“杖”は重要な意味を持っています。橋の少ない時代では、渡るための川の深さを測り、道無き道を歩く時は自分の体の一部、センサーのような役割を担いますし、説法の時は円相を描くなどの道具となり、仏法の敵から心身を守るシンボルなどになります。
 つまり、『山川草木悉皆成仏(この世の全ての現象は仏性そのもの)』から考えれば、この世の全ての存在の一つである“山形拄杖子”は正に仏性の化身であり、使われ方が全てを物語っています。ですから、蓮の花一輪でも、杖一本でも、猫でも虎でも、私たち自身を含めて、“自然”は仏であり、人間が手を加え(垢を付け)れば表面的には便利(人間にとっての都合良さ)になるのですが、エントロピーは増大して曇るのです。
人間と教育の関係も同じ。学ぶ事を支援することと強制的に記憶させることは違う。人間も自然の産物で、“旬”がある。人間が植物なら、土地と天候を母とし父として花咲き実を結ぶだろう。動物なら親から、そして親に準じる存在からの教えと自らの経験(修行)を通じて立派な大人になるだろう。そして知識を集めたり、創造したりするだろう。
南伊豆の作務に来ませんか?きっと何かが変わります。
慧智(050331)

投稿者 echi : 2005年03月31日 05:37

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