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2005年03月29日

野狐禅和尚の辻説法『向南見北斗』№712

『向南見北斗』は、「南に向かって北斗を見よ」と読みます。
さて、皆さんは、どうしますか?
鏡を使う、などと考えるようでは現代に毒されているとしか言えない。つまり、南だ北だ東だ西だという差別区別に囚われているようでは、“真理(万物の本質)”に近付くことは出来ないだろう。「父母未生以前の己に如何に」と問われ、必死になって考えるようなものだ。後頭部に眼があるわけは無いし、己という自覚が生まれる以前には現象すらしていないのは、衆智の事実、正に常識といわれる。しかし、其の“常識”という先入観に“疑惑”を持たせ、自由自在に観て感じて“常識”を捨てるところからしか“真理(万物の本質)”とは出会えない。言い換えれば、常識(経験的科学)や科学(限定合理性)の世界観では“真理”は見えるわけは無い。つまり、真理に出会おうとするなら、南に向かって北斗を見ることができなければ無理なのだ。しかし、森羅万象全てが“真理”の投影であるという仮説があるなら、真理はどこにでも転がっていることになる。
そこで、そもそも「南に向かって北斗を見よ」という指示、問いそのものの真意は何かを問題にしなければならない。「分別を捨てよ」と受け取れれば、「見ようと思っても見えないが、見ようと思わなくても見えている」ものは何か、と言っているのが解る。つまり、“有る・無い”という二項対立を基盤とする物理的な世界に無いものは何か。物理学の浅智慧をいくら廻らして見えるわけはない。そこには『色即是空・空即是色』の世界である、有ることは無い事を含み、無い事は有る事を含むのだ。それは、頭(電気信号で成立している神経系)では解らない。神経系+内分泌系+免疫系≒心を調和させた状態で“気付く”、森羅万象という現象の原点。物が生まれる以前の姿だ。それは“感じた後に開いた眼(心眼)”でしか見る事ができない。心眼は物理的な現象を観る目ではない。真理を見抜く眼である。それは、常識という世間の塵芥、知識という無智から離れなければ使い物にならない“仏性≒心眼≒生得の智慧≒空≒相互補完”。南に向かって北を観る事が出来る心眼なのである。自他一如、万法帰一・・・・。般若心経を指で読みなさい。耳で写経をしなさい。踵で聞きなさい。
慧智(050329)

投稿者 echi : 2005年03月29日 16:42

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