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2005年03月29日
野狐禅和尚の辻説法『テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ』№711
釈尊から5代目の弘忍大和尚(五祖)、その弟子で六代目の慧能大和尚、慧能大和尚の兄弟子が神秀和尚。弘忍が法を継がす相手を決めようと「明日の朝、廊下に自分が“これ”と思う仏法に関する一首を貼っておけ」と法邇を公募した。
そこで、一番弟子の一首が『身は是れ菩提樹。心は明鏡台の如し。時時勤払拭、塵埃を惹かしむこと勿れ』。正に秀才の作。もう一首、弟弟子の小猿こと後の慧能。『身は菩提樹に非ず。明鏡亦台に非ず。本来無一物、何れの処にか塵埃を惹かん』と表面上の意味が正反対の一首。正に天才の作。これが『時時勤払拭』『本来無一物』という紙の裏表の公案の源流。それが『不思善悪』という公案に結ばれる。
簡単に言えば、真理とはと尋ねられ『全て揃っているが埃が付き易い』と『何も無いので埃は付かない』という対立。そして『有る無しは無い』という3つの表現がある。全て秀でた者の境涯が表れている。勿論、大本は『一切皆空』であり全ては“補完”し合あうゆえに“空”であり、全ては自然の状態で完全調和している、というもの。
つまり、テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ。さて前出の3種のテーゼが、さらに止揚(アウフヘーベン)されれば、如何なる表現となるか。
簡単に『無』などと応えてはならない。さあ、一秒以内に応えろ!!!。
慧智(050329)
投稿者 echi : 2005年03月29日 06:42