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2005年03月19日

野狐禅和尚の辻説法『“禅”とは、強く、優しく、しなやかに、淡々と生きる事』№704

時々、「禅を学んでいます」、という人に会います。結構なことだとは思いますが、それは「調理を学んでいます」と似たところがあります。料理は、“食べること”の手段であり、『作って食べる』という元来“一体”、紙の裏表を、無理やりに2枚の紙に剥離したようなものです。調理を学んでも腹は満たされません。同時に、禅を学んでも心は満たされません。仮に“調理”を利他、“食べる事”を自利と考えたらどうだろう。人間、レシピを読んで学んでも“腹”は膨れない。同時に“採集”により食べるだけでは栄養が偏るし、毒キノコを食べてしまう事があるかもしれない。しばしば、食道楽は舌が肥える、料理人は食べる事を楽しめない、と言われる。
『禅』は、日常生活における『料理と食事』のようなもの。少し突っ込めば『素材を手に入れ、調理し、美味しく食べて、後片付けをする』、その内に“器”を作り、箸を削り、畑仕事をして、漬物をつくるようなもの。つまり、『行住坐臥』、“生活そのもの”なのです。それが転じて“医食同源”、“日常を楽しむ(日々是好日)”、無事是貴人・・・・となるのです。言い換えれば『強く・優しく・しなやかに、淡々と生きてる事』であり、それを実現している人が『活人』、そこへ向う道を『活人道』、それらの全体を『活人禅』と思っています。『無』だとか『空』とかいう言葉を理解することと、“それ”を生きている事とは少し違います。解らなくても“それ”を生きている、そして“それ”に感謝し、“それ”を虐めない事がだいじなのです。『無』は、単純に“無い”ということではなく『定まった形が無い・力が存在する(機能はある)』、水や空気、雲、森羅万象・・・全てが“無”、『空』は、単純に“カラっぽ”ではなく、『異なる“力”が相互に浸透し、全てが過不足なく調和している状態』、素粒子の世界、宇宙全体、ミクローマクロ、連想は何でも結構。最大のミクロを人間・最小のマクロを人間と捉え、無限の調和点を生命と考えてもよい。まあ、頭ではなかなか解らないし、言葉での解説には限界がある。しかし、“坐禅”は全てを感じ取れる。それを知って生きる人間と知らないで生きる人間には、天動説と地動説の違いを知って居るか知らないで居るかの差ができる。勿論、普通に暮している(限定合理性の世界)では大きくは困らないかもしれないが、・・・・。まあ、坐りましょう。
 今日から禅会です。来て下さい。
慧智(050319)

投稿者 echi : 2005年03月19日 16:46

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