« 野狐禅和尚の辻説法『法律・道徳・倫理・宗教』№700 | メイン | 野狐禅和尚の独り言『所有権・経営権・就労権・収税権・・・』№702 »

2005年03月16日

野狐禅和尚の応え『質問:神様は存在するのですか、人間は皆、死ねば仏様になるんですか?』№701

都内の少しだけ辛そうな高校2年生から、上記のような質問を受けましたので、応えたいと思います。
冒頭で言って置きますが、この質問には、その人の立場により60億通りの答えがあるはずです。もし、答えが一つで、それが“普遍的な事実”を示すとすれば、この世には戦争も無ければ、犯罪も無いと思います。
◆そこで、先ず「存在」という意味を考えましょう。
 一般論として「存在」は物理的に在る、という意味で、イメージ(心の中に浮かぶ像)をあらわすことはありません。身近な例ですが、自動車とドライブを考えて見ましょう。自動車は『物』で、ドライブは『事』ですね。世の中にはいろいろな価値観があります。自動車を所有することがドライブに行くより大事という人もいれば、所有なんかしなくてもドライブに行く時だけレンタカーを借りれば良いという人がいます。もし、神様が車のように「物」として存在するなら、何らかの方法で具体的に証明することが出来るでしょう。もしドライブのような経験的な「事」であれば、自然や実在した人間から、心で想像し、心の中の存在として創造することが出来ます。そして心の中に創造したイメージは認知的不協和というメカニズムで、一度信じたことはどんどん強化され、幻影を見ることも自然になります。もちろん事実はひとつですが、真実(事実を心が解釈した内容)は、人間の数だけあると言っても過言ではありません。論理的でなく想像力が乏しい人は、他人に影響を受けやすい人は、自分より強い人、知識のある人、社会的に人気がある人などなどに影響を受け、そのイメージが転化し、あたかも自分の考えや自分の経験のように考えるものです。勿論、それが全面的に悪いということはありません。実際、そのメカニズムを利用したのが「教育」であり、道徳なのですかか。そして、その結果、形や形式になり、後世に残って行くものが芸術や文化というものです。
◆要約しますと、神様は存在すると思う人には存在し、存在しないと考える人には存在しません。
 次に、仏様に関してです。仏様は「仏陀」に対して尊敬を込めた呼称である場合や亡くなった方のその後の呼称であったり、これもまた一人一人の解釈が異なります。一般に「神様は外なる絶対者、仏様は内なる絶対者」と言われたりします。それは、私たちが死んでしまうと「神様の元に行く、仏様になる」という言い方に投影されているように、体が滅びて残るものはなく、神様の所に行ったというイメージとして残された方の心の中に存在し、悲しみを仏様になったということで整理し、心の中に記憶を存在させます。
 つまり、神様でも仏様でも創り主でも、どんな名前、どんな概念でも、全ては「心」の問題なのです。少々科学的な考察を加えれば、素粒子という存在の基本物質は、物というよりは「力」といった方が合理的なのですが、それが沢山集まると「硬くで重い」つまり具体的に感じることが出来る質量を持つ物質(存在)に見えるし、疑いようの無い実体験をもたらします。しかし、それらをトコトン細かく割ってゆくと、そこには「物」ではなく「力」、現在は4つの異なる性格の関係力、5つの現象、6つの塊単位になります。ところが、それは宇宙の歴史と科学的な定説となっている150億年という歴史の範囲で考えられる限定的な合理性で、絶対的と言い切れるかどうかは解りません。つまり、人類は未だ無知と言っても過言ではありません。
 少し飛躍しますが、仏様は全ての人の心の中に現象しているのですが、それに気付かない人には存在しないのです。
 説明が長くなり、言葉だけでは十分に伝えられないことは十分に解っています。それを仏教では「不立文字・教外別伝・直指人心・見性成仏」といい、コミュニケーション能力と意思伝達能力に対する言い訳のように聞こえるでしょうが、『真理』を伝えるのは大変に難しいことなのです。ですから、一人一人が先入観を捨てるために坐禅を行い心を自由にして感じ取るしかないのです。面白いことにキリスト教は文学的だし、仏教は科学的なんですが、先ずは頭で学ぼう(≒知りたい)ならば、キリストの夢と釈迦の現実を定規にして世界を見ることを薦めます。そして、先ずは、自分自身で自分の考えを持ち、それに固執することなく、その心を実践してみましょう。その実践を通じて、貴方なりの真理を形成できるでしょう。繰り返しになりますが、だからと言って、『私を信じない者は地獄へ行く』などという恐ろしい嘘だけはつかないように。自分が正しい思い込むと、それに拘り、囚われ、偏ると、『対立』が起り、困った世界になるものです。
●究極の答え:あなたの信じることが『真実』です。この問題に『事実』は存在しません。
あなたは此の世に欠くべからざる素晴らしい人間です。そして、この世界に一人しかいない素晴らしい高校生です。今も、あなたの心は、恰も純金のように光り輝いているでしょう。ですから、何があろうと、それを決して曇らさないでくださいね。僕は、いつでも貴方の味方です。
『火に入るも真金の色転た鮮かなり』と云います。『真の実力とは、逆境にあって明らかになる力』です。本当の黄金というものは、火に焼けてもまったく色が変わらないように、人の真価というものも、災難にあったとき、逆境に陥ったときに明らかになるものです。今、迷いがあるのは自然です。世の中が悪すぎます。多分、あなたが、神仏を考えるには、それなりの理由があるでしょう。この次のメールでは、より具体的な話をしてくれるか、さもなければ、坐禅に来なさい。時間がある限り、付き合いますよ。
慧智(050316)

投稿者 echi : 2005年03月16日 16:48

コメント

 
活人禅宗・両忘活人禅会
活人禅会:茨城県久慈郡大子町浅川椢立目2644 両忘山活人禅寺  南伊豆禅会:静岡県賀茂郡南伊豆町加納1232 The禅House