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2005年03月16日
野狐禅和尚の辻説法『法律・道徳・倫理・宗教』№700
昨今、合法か違法かなどという低レベルの論争が、企業買収に纏わって立法・司法・行政の各府から経済三団体で盛んに議論されている。私も“その”幾つかの会で発言するチャンスがあり、話すべきことは話しているが、彼らの理解はかなり異なる。特に、その代表者の宗教による違いはハッキリしている。誰が如何なる宗教かは差し控えるが、経済三団体の代表は、キリスト教徒、神道、念仏系仏教であり、それぞれが競争賛美、権力賛美、規模賛美思想をその言葉の端端に伺える。勿論“無信仰者(利己主義)”である話題の主よりは、確固たる信念(価値基準)が公開されているほうがフェアーであることは事実ではあるが、 おおむね“排他主義”であることは悲しい現実である。
法治国家である以上『遵法(コンプライアンス)』は当然であるが、法律は“時代(文明度・文化度)”という変数に大きく影響を受けるので、たえず“不完全”であるから、法律の上位概念である“道徳”の視点から“法律の精神”を受け止め、合法であれば全て善しと考えることは差し控えたい。
次に、“道徳”は国家的な価値感を変数としているので、“その国家”の最高権力者の人格を変数として不安定となる。つまり、日本を例に言えば首相の人格が道徳の普及度に大きく影響する。そこで道徳は、その原理である“倫理”に精通していなければ語れないし、日々の率先垂範が出来なくなる。言い換えれば『修身斎家治国平天下』であり国会議員が国民の模範でなければ天下が落ち着く訳がない。そして、“倫理(道徳の原理)”の背景には“宗教(倫理の原理)”があり、簡単に言えば、如何なる宗教でも構わないが、宗教を持たない者は、倫理、道徳、法律は、生きるための“制約”と捉え、自己の都合で“合法と違法”を使い分ける法律論者は本物の『無道徳者』となる。そして、道徳(商業道徳などを含む)を振り回す者は、倫理観が怪しく、倫理を謳い上げる者は、宗教に関する無智が露呈する。
私達、地球上の存在である生命+森羅万象は、相互補完、相互支援で存在が可能となる“現象”であり、『互恵』を無視することは犯罪である。また、人間であるなら『競争』を無くし『弱肉強食』の生存原理から、抜け出す努力こそ、法律・道徳・倫理・宗教の共通概念のはずである。
今日、世界は『法律・道徳・倫理・宗教』を止揚した新しい概念を必要としている様に思う。そして、それが“禅”の思想にかなり近いのではないかとも考えている。しかし、“それ”が何か、と話す時期ではないだろう。少なくとも、今後50年以内に本物の“世界規準”が出来ない限り、50億年続いてきた地球の調和は大きく崩れるだろう。地球の寿命は100億年であり、これまで50億年を経た。そろそろ地球も“おとな”にならなくてはならないのだ。
なお、今、生きている者は、少なくとも“今日”を大事にしておかなければならない。そこで、今直ぐ誰でも出来る“無対立・無犠牲・自主独立”だけは守りたい。競争は止めようではないか。勝組・負組をつくるのはよそうではないか。相互補完とならない一方的依存は止めよう。
・・・・願わくば我等と衆生と皆共に仏道を成せんことを・・・・
慧智(050316)
投稿者 echi : 2005年03月16日 06:48