« 野狐禅和尚の辻説法『十牛図第五『牧牛』(牛を馴らす)』№695 | メイン | 野狐禅和尚のお応えします『質問:禅とデリバティブの関係についての見解はお持ちですか?』№697 »

2005年03月13日

野狐禅和尚の思い『南伊豆の“菜根譚”について』№696

 昨日、経営や思想、商品開発、組織そして禅など、物ではなく“事”に関する議論が銀座の「おでん屋」であった。その際、南伊豆の無対立・無犠牲・自主独立を基本理念とする村『菜根譚(禅的生活空間と言っても過言ではない)』の参加資格に質問があったので、私一人が決めることは出来ないが、以下の私見を述べておきたい。
さて、人間、出来る事ならば“平和(対立関係(争い)の無い共存状態である協奏主義者)”で暮していたいと考えるの人が圧倒的に多いのは誰しも認めることだろう。と同時に、権力の座に君臨し、大衆に対して優位な立場であろうとする者(例えば、拝金主義者や権力志向の“競争賛美”の競争主義)が存在することも確認できるだろう。一般的に、前者は防衛的(内向的)で、後者は攻撃的(外向的)と見るのが標準である。となるところから、当然、前者は数が多くとも“声”は小さく、後者は数が少なくとも“声は大きいので、結果的には“二項対立”“二分された価値感”と写りがちである。しかし、確認しなければならないのは、“競争主義”は勝者と敗者という二律背反の価値観を醸成する二項対立文化へ向う流れであり、一神教を前提とする“神様争奪戦”に参戦している者たちの考え方なのです。そしてそれは、心身二元論を展開し、『魂』と『肉体』を分けて考える思考体系を確立し、前世や生まれ変わりを提言し、直接的因果論(科学的思考)とのステレオタイプの実現に流れ、最終的には『労働は懲役であり、前生に善行を積んだ家計は“貴族や支配階級”となる』とい論理展開をしています。
一方、60億という人類の7割以上の多神教(日本を含む)は、禅に近い論法である『勝ち負けのない平和生活』を希求し、『労働は美徳』という生活価値を体系化しています。しかし、情報のスピード化(デジタル化)、国際化、無智化(本質を軽視すること)という現代文明は、中庸や中間という概念を理解する能力を退化させ、全てを二律背反で考えようとする“不完全な排他的非重複的分割思考”で社会を汚染し、善人か悪人か、勝ちか負けか、正しいか誤りか・・・という稚拙な判断基準が広まっている。しかし、前出したように“それら”は『少数大声』の意見でありながら、権力と財力を最大の価値とする彼らは、“和を以て貴とし”とする圧倒的多数の声無き声を忙殺していることを理解しておかなければなりません。
 以上の意見に対し、仮に、決定的な異論反論が無く、せめて菜根譚の中では『勝ち負けを作らず、助け合い、創意工夫を以て質実剛健に暮らす』ことが約束できる者が参加の大前提になります。それ以外は、全てこれからの話し合いで決めれば良いのです。
 繰り返しますが、生き馬の目を抜き、負け組みを作って勝ち組が闊歩するような殺伐とした権力競争賛美社会より、一人一人の個性を活かして自由が尊重され、助け合って相乗効果を実現できる社会を“善し”とする方々の“ストレスマネージメント空間”であり、イザという時のシェルターであり、微笑を忘れそうになった時、アイデアが欲しい時に、情報断食ができ自問自答できる空間を求めて居る方の“村”にしたいものです。
慧智(050313)

投稿者 echi : 2005年03月13日 16:51

コメント

 
活人禅宗・両忘活人禅会
活人禅会:茨城県久慈郡大子町浅川椢立目2644 両忘山活人禅寺  南伊豆禅会:静岡県賀茂郡南伊豆町加納1232 The禅House