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2005年03月07日

野狐禅和尚の辻説法『菜根譚・前集132からの警告』№688

昨日、偶然に出会った釈宗演老師の菜根譚訳本の、偶然に開いたページに、以下の教訓があった。私と宗演老師では経験や生きた時代が異なり、受け取り方に多少の違いはあるものの、皆さんにとって大事な内容だと思うので、2年ぶりに掲載します。
■前集132項
善人未能急親、不宜預揚。
恐来讒譛之奸。
悪人未能軽去、不宜先発。
恐招媒蘗之禍。
◆訓読
善人、未(いま)だ急に親しむこと能(あた)わずば、宜しく預(あらかじ)め揚(あ)ぐべからず。
恐(おそ)らくは讒譛(ぎんしん)の奸(かん)を来(まね)かん。
悪人、未(いま)だ軽(かる)がるしく去ること能(あた)ずば、宜しく先ず発(あば)くべからず。
恐(おそ)らくは媒蘗(ばいけつ)の禍(わざわ)いを招(まね)かん。
●解釈
相手が善人と解っていても、本当に親しくなるまでは、相手を褒め称えてはならない。
さもなければ、それをやっかんで、陰口を使って仲たがいをさせ、利益を得ようとする下衆な輩が現れるだろう。また、相手が悪人と解ったとしても、近付かれた以上は、悪事を働く前に排除してはいけない。それをすると、恨み妬みを買い、悪さ以上に大きな被害を受けるだろう。
つまり、活人は、何事にも時期があり、処し方があることを知って、実行している人間なのだ。
言い換えれば、一寸先に明かりを灯せる心の眼をもった人なのだ。
とは言え、禅では「善を思わず悪をも思わず」と説く。自他一如に二心無し。短期的に騙した騙されたという考えは嫌うし、相手の意見を定数とも変数とも思わず、あるがままに受け止めて、決して無理をせず出来る事はする。そして、自利利他に徹するように教え、何が起ころうと結果は自然に成るので、足るを知るように教える。さて、善悪が分かれる前には、何があったのだろう。実は何もかもカラッポなのだ。善悪は分別。巷では善を行い、悪を為すなというが、その真理は善悪などに囚われず、拘らず、偏らず、無心に淡々と生きよということだ。
慧智(050307)

投稿者 echi : 2005年03月07日 06:56

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