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●選択肢は自然が用意し、選択権は個人が行使します


●選択肢は自然が用意し、選択権は個人が行使します


 人間には色々な生き方があります。誰かの顔色を伺い、誰かに依存して生きる生き方。これは少々寂しくはありますが、それもその人の選択肢です。もう一つは自立して自分の事は自分でする、という生き方。活気を感じます。しかし、そんな方にも言葉にならない不安はつきものです。健康の事、収入の事・・そして死んでからの事。

 そもそも禅寺は、イキイキと生きていこうとする人のために存在するのであり、墓はイキイキ生きることを支えるための便宜上の形式に過ぎません。勿論、禅僧は日課として私達の今・此処を支えて頂いている全ての現象に対して供養をしていますが、これとて“無功徳”です。言い換えれば“当たり前”のことです。禅寺の使命は、葬式でも墓地の提供と管理でもありません。

“心の曇り”を拭き払い“今をイキイキと生き抜く力”を呼び覚ます心身修養の場の提供で、度を越した“物見遊山(観光)”の対象ではありません。
 禅寺は『己事究明』と言って“坐禅や作務を通じて己の本質(父母未生以前の己)”を悟る場であり、今をイキイキと生き抜く智恵を得る場で、明日への活力を養い、今の心身を癒す安らぎの場です。

 つまり、この世は、自然が用意した生き方の選択肢を選択する場なのです。
(続く)

 
 
散骨・自然葬・果樹葬は、地球を終の棲にする事です
静岡県賀茂郡南伊豆町加納1232 千風山活人禅堂気付
 
坐禅を日課にイキイキと生きようとする者が主人公の禅寺
両忘山活人禅寺 はこちら