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●生命は独立しつつ連続している


 子供の有無に関係なく、私達の命は、他の命と紙の裏表のように“不可分不可同”の関係にあります。私達人間は、毎日毎日、他の生命や生命の構成要素である物質を犠牲にして生きています。否、それなくして生き続けられません。肉や魚が生命であることは解りやすいのですが、野菜や果物も生命ですし、水や空気という物質は生命の欠くべからず構成要素ですから命の源と言えます。

 つまり、私たちは近視眼的には父母の御蔭様でこの世に生を受けましたが、心眼で観れば、食事や呼吸、生活の全ては、他の生命や生命の構成要素を犠牲にして生きています。

 父母が、祖父母が、曽祖父母・・が此の世に生を受け、寿命を全うしてきた20万年、否600万年、否、正しくは38億年。DNAという過去帳に記録を残しながら絶える事の無かった生命の歴史を考えれば、私たち自身が大自然の循環の一瞬の結晶としてこの世に一時的に現象して、寿命が尽きれば大自然に帰るという存在だということは、誰もかも容易に理解しているだろうし、森羅万象は例外なく『命の仲間達』なのだということは子供でも解かるはずです。

 
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