
注)『宗教』とは、本来は“宗たる教え”であり、宗旨宗派に囚われ生活スタイルを強制されるものではなく、一人ひとりがイキイキと暮らすための“縁って立つ”考え方で、一人ひとりの自由意志に立脚します。(禅の考え方)
●私達の命は独立しつつ連続している
子供の有無に関係なく、私達の命は、他の命と紙の裏表のように“不可分不可同”の関係にあります。私達人間は、毎日毎日、他の生命や生命の構成要素である物質を犠牲にしてしか生き続けられません。肉や魚が命であることは解りやすいのですが、野菜や果物も命ですし、水や空気という物質は他の命の構成要素なのです。そう考えると、私たちは近視眼的には父母の御蔭様で生まれ、他の命を犠牲にして生きていますが、父母が、祖父母が・・此の世に生まれ寿命を全うしてきた背景を考えれば、私たちは、大自然の循環の一瞬の結晶としてこの世に一時的に存在し大自然に帰る存在、否“現象”であることは容易に理解できるでしょう。だからこそ、日本人の美徳は食事の際の挨拶である“頂きます”という言葉に表れているように、全ての自然と関わる命に対する畏敬の念を言葉にしているはずです。
●新しい埋葬文化として“果樹葬”を提案しています。
以上から、私たちは“果樹葬”と名付けた新しい散骨文化を構築しました。
『果樹葬』は、遺骨を大地に直接撒き、そこに記念となる果樹を植え、遺骨を生命の源である大地に戻しつつ、その要素の一部を果樹の根に提供して次の世代の“実り”を実感することで大自然の循環を子々孫々に体現できるようにするための『植樹型の散骨』です。
●転ばぬ先の杖を持つことは安心という“生きる力”になります。
日々を安易に生きるのではなく命の限りをを知って寿命の尽きる日までイキイキと生きようと覚悟を決めた時、自分らしい最後の姿が脳裏を過ぎります。否、私は過ぎりました。
自分自身の力で、自分自身の人生を完全燃焼させようと考えたとき、ふと心を過ぎる不安「死んだら私はどうなるのだろう」は、誰にも共通してあるようです。そこで、直ぐに連想するのが「どこのお墓に入るのだろう」ないしは「そうだ、お墓を買おう」というケースが多いようです。また次の瞬間、でも「私のお墓は誰が面倒を見てくれるのだろう」とか、「死んでからも子供達に迷惑はかけたくない」・・・などなども考えてしまうそうです。
●今、此処で完全燃焼するのが一番大切です。
本当なら“お墓”なんか要らないんです。そもそも、お釈迦さまにだってお墓は無いし、お骨も仏舎利と言われ世界中に分散しています。しかし、どうしてもお墓が必要だと思う人は、あった方が良いと思います。何故なら、自分が信じていることに逆らうことで生きがいを失うからです。
言い換えれば、人間は毎日毎日を完全燃焼してイキイキと生き切る事が何よりも大事なのです。勿論、誰だって不安はあります。生きる不安、老いる不安、病む不安、死ぬ不安を中核に、受験に対する不安や失業する不安、嫌われたり恨まれたり忘れられてしまう不安・・。不安の種は尽きないかも知れませんし、不安を種に自殺してしまう人までいます。心理学的に不安を大まかに考察すると、悲観的な個性が20%、楽観的な個性が20%、両方が混在する個性が60%います。悲観的な人とは現象の否定的な部分に着目し、楽観的な人は肯定的な部分に着目します。しかし、現実は“同じ現象は二度とおきない”という時間の概念に支配され“この宇宙に普遍的な存在は無く全てが変動的な現象だという事実ですぅ。言い換えれば“諸行無常”ということです。だからこそ、今・此処を全力で生きることが大事で、決定している過去、全てが可能性である未来に執着し、囚われ拘ることは無意味なのです。
●選択肢は自然が用意し、選択権は個人が行使します。
人間には色々な生き方があります。誰かの顔色を伺い、誰かに依存して生きる生き方。これは少々寂しくはありますが、それもその人の選択肢です。もう一つは自立して自分の事は自分でする、という生き方。活気を感じます。しかし、そんな方にも言葉にならない不安はつきものです。健康の事、収入の事・・そして死んでからの事。
そもそも禅寺は、イキイキと生きている人のために存在するのであり、お墓はイキイキ生きることを支えるための便宜上の形式に過ぎません。勿論、禅僧は日課として私達の今・此処を支えて頂いている全ての現象に対して供養をしていますが、これとて“無功徳”です。言い換えれば“当たり前”のことです。
元来、お寺は今、此処に生きている人のために存在しているのです。勿論“観光”という事ではありません。出会いの場所、学びの場所、安らぎの場所という意味です。
●活人禅宗に属する寺や施設は、次のような考え方に基づいています。
1、人間修養(品格を高める)の場(坐禅の指導や生き方の勉強会が行なわれるところ)
2、俗社会での地位や貧富の差を超越して集う場(各種集いの場所を提供)
3、命を実感する場(真正面から生死を考え語れる場)
4、心を癒し気品ある生活を獲得する場(文武から農林水産体験(作務)・・・)
5、自然と共生できる場(散策や草花の育成など)

●『露蓮の会』についてのお問い合わせや現地見学の申し込みは
東京(03)5550-9803東京事務局の小林慧智へお願いします