...
 

あれから1年“坐禅”の効用(その2)

 前回からの続き
2、検査の結果が出たのが6月21日だったと記憶している。信じられない事に左の肺上部の影が消えつつあるとの事であった。同日、疑問に思った呼吸器系の医師から再検査の指示を受け、午後の予定をキャンセルして再度CT,PET、胸部レントゲンを受診、今度は医師が立ち会った。何やら慌しかった。過去のデータと比較していたのだ。暫らくして医師が「肺の癌が消えている」と言い出した。私は、何を言われても取り立てて動揺はしなかった。『ダメなものはだめ。治るものは治る。人間は病気で死ぬのではなく寿命が尽きれば大自然に戻るだけ』そんな心境にあったからだ。その頃の数ヶ月、出来る事は全てする。出来ないことでも出来るだけはする。結果は厭わない。そんな思いで暮しているからか葛藤ストレスは限りなく少なくなっていた。私はストレス心理学者であり禅僧。正直、無様な死に方だけは避けたかった。周囲にはゴタゴタが相変わらず泡沫の如く浮かんでは消え消えては浮んできていた。7月になり茨城の大子にある寺を任せるという方が現われた。6月から茂原の禅堂が使えなくなった矢先のこと。捨てる神あれば拾う仏ありなのか。縁の妙を感じた。7月に入り、時間さえあれば大子の薬師堂に篭って坐禅三昧。東京から約2時間の車の運転は疲れた。しかし、山の中腹になる薬師堂で坐っていると、全身が自然へと回帰し、自然が身体へと凝集するのを実感でき、清清しいことこの上なく、運転の苦労など即座に消え失せた。医師によれば、いつ動けなっも不思議ではないし、無理をすれば命の保証は無い、と言われたが、元々、命の保証などされてはいないので、何を言われても一向に気にならなかった。動ける時は動こう、動けなくなえばそれはそれで良い、と思いつつ、声がかかれば九州から北海道まで講演やセミナーを引き受けていた。7月のある日、薬師堂で季節外れの鶯の鳴き声を聞いた。その声から「これからの時間は人の為に生きる時間だぞ」というイメージを受けた。正直、「これ以上何をすれば良いのだろう」とも感じた。何故なら、自分としては精一杯“利他”に生きて居るつもりがあったからだろう。月例の活人禅会では、相変わらず侍者・典座に徹し、寸暇を見つけては一人、薬師堂で坐った。8月からは寝ずに坐った。実に清清しい。フッと居眠りをした時など、生まれ変わったような感じだった。夏だから暑いのは当たり前だが、薬師如来と対面して坐っていると、背中と丹田が熱くなり、汗が噴出して来る。その汗が乾き出すとヒンヤリとして実に気持が良い。と同時に冷えると痙攣がおきそうになるのでカイロを当てた。アッという間に朝が来る。4時に振鈴をもって開静を知らせる為に山を下り哲学堂に行く。その後、直ぐに朝課を済ませ、台所で粥座の準備。このころから“豆乳粥”を出すようにした。10時からは作務。その頃の私には難行であった。山の上り下りだけでも息が切れ、冷や汗が背中を流れた。5歩6歩と歩くだけで内臓が怒り出し、内側から腹を蹴飛ばされる感じだった。「おお、元気だな、癌太郎」と嘯いてはみるが痛みは変わりない。心頭滅却すれば火すら涼しくしてしまうご先祖がありながら、未熟な私は“その境地”に至らない。修養が足りないのだろう。山での生活を終え、下界に戻ると忙しい毎日が続いていた。分不相応に“新規事業”が目白押し。農業だ、中国での教育事業だと5つものプロジェクトに関わり、机は頭と共鳴して散らかり放題。一日6時間の睡眠を目標にしていたが、相変わらず3時間しか眠れないのが現実だった。まあ、これが私さ、と思い、無理に眠ろうとはしなかった。原稿も山ほど引き受け、11月には3冊が同時に上梓されるほどだった。その頃、経済同友会の教育関連の委員会に所属している関係で、頻繁にボランティアで講演や授業に出かけていた。相手は中学生、実に元気が良い。私はこの時とばかり“元気”を盗むことにした。冷房のない教室は実に暑い。Yシャツがオーガンジーのように透けるほど汗が出て、女生徒に笑われたこともあった。しかし、50分、元気の限り話しをしていた。8月を過ぎても、私は寝込むことは無かった。相変わらず毎週の検診。9月の検診では脾臓・肝臓・胆嚢の癌が進行を止めていると告知され、訝しがる医師が「これなら手術ができる」と言い出す始末だった。私の応えは勿論「ご縁療法一筋で行きますから、見守ってさえいてくれれば結構です」というもの。ご縁療法が何であるかは其々に差障りがあるので誰にも話していない。実は自分でも何が効いているか解らない。癌の湯治で有名な秋田の温泉にも行った。『元気』という篆書を何百と書いた。アガリスクやフコイダン、核酸ドリンク、熊笹、ミミズなどなど、心配して送って頂いた全ての健康食品を片っ端から頂いた。11月の検診で進行が“本格的に止まった”という告知を受けた。治った訳ではなく増殖を停止しているということだ。言い換えれば、活火山が休火山になったようなものだそうで油断をすれば活動は直ぐに再開されるようだ。とは言え、私としては楽観的に「癌という新しい臓器が出来たようなものでしょ」と医師に問うと、「まあ当たらずとも遠からずということだ」と返事が返ってきた。そこで私はそれを“癌臓(ガンゾウ)”と名付けて、喜んで人に話したが、皆、対応が困るらしく、キョトンとする。それを観るのは実に楽しい。正に癌、様様である。そして今月に入った。病院は2週間に一回の検査と、痛みが出る場合の応急処置だけで、まあ週に一回程度になった。しかし相変わらず左半身は痺れがあり、時々、手や足、腹などが攣る。しかし、気を失うような事は無くなった。正直、自分の体が、今、どうなっているのか知らない。医者でも解らないだろう。何が始まり、何が終わったのかは誰も解らない。しかし、今、生きている。人生は一日一日の積み重ね。一足飛びは無い。そして生まれれば必ず自然に帰る。過去は変えられない。未来は決められない。だからこそ、今・此処の己を精一杯生きよう。一日は一生の如く。一生は一日の如くである。生死事大・無常迅速・光陰可惜・時不待人。死ぬ覚悟より生きる覚悟。自利利他の心。万法は一に帰す。己の外に仏無し。日々是れ好日。平常心こそ道。無事こそ是貴き人。歩歩は是道場に他ならず。諸行は無常。活殺自在。融通無碍。対立せず、犠牲にせずならず、独立独歩。一切皆空を知って無心となり、照顧脚下、日々を淡々と生きよう。それが人生というものだろう。
 古から坐禅には多くの効用が取沙汰される。しかし、それは結果が自然に生る事で、目的とすることではない。しかし、しかし・・・。坐禅は素晴らしい。

慧智(041225)
№636 2004-12-25

2/3