| ●野狐禅和尚の辻説法『質問に応えて』 第988話 |
2006-09-05 (Tue) |
質問:「和尚の話では“言葉は無力”とも“強力”とも聞こえます。私は言葉こそ大事だと思いますが、どちらでしょうか」 回答:一般論としては、人生の体験に「言葉」は非常に大きな役割を果たします。理由は簡単です。自分たちの過去に体験したことを誰かに説明する時に使う言葉が、私たちの未来の体験そのものになるからです。言い換えれば、言葉にしたことの無い体験はしない、ということです。少し哲学的になりますが、現在の自分に対して命題を突きつけていれば、必ず解が得られます。“解”というものは、その命題が成立した時点で暗々裏に用意されているのです。言い換えれば、我々がすべき事は、自分自身に対して「正しい命題」を突きつけることなのです。例えば、「私は有能である」という命題を自分に突きつけけている現在のあなたは、未来から見れば「有能だった」ということになります。 断言的に言えば、未来の視点で過去を直せるのが「現在」ということです。じっくりと次の事を考えてください。 『現在という瞬間が積み重なったのが過去、そして、未来は現在を積み重ねて過去にする』ということです。換言すれば、自分の人生に起こる出来事を管理できるのは自分自身なのです。自分がどのような人生を送るかを決めているのもあなた自身です。ですから、今何か不満なことがあれば、何をどのように変えるかを決めれば良いのです。だから言葉は人生を作り上げる道具ですかから“強力”といえます。以上が、一般論です。 禅では、「百尺竿頭で一歩を進める」というニュアンスの言葉で、一般論を吹き飛ばします。人間としてのゴールは、菩薩としてのスタートと考えるからです。勿論、人間は菩薩と表裏一体ですから分けて考えることは出来ませんが、方便としては解りやすいので、二元論的な表現を使います。 さて、人間の世界には言葉があり、菩薩の世界には言葉はありませんね。そして、禅の修業とは、人間を過去の現象として、菩薩としての未来を築いているのが現在という現象です。『生死事大・無常迅速・光陰可惜・時人不待』。木槌を打った瞬間に過去・現在・未来が相互浸透します。雲水は毎日毎日、この言葉をイメージの世界に刻みつつ、言葉に囚われる心を捨てていきます。捨てきったとき、人間と菩薩が一体となり、知識を得ることで解る人間が、知識を捨てることで全てを見通す菩薩に変身します。私は、セミの幼体が脱皮し成体になる瞬間を沢山見てきました。大自然の秩序です。それを真理と言います。真理は言葉ではありません。言葉でお腹がいっぱいになりますか?言葉により得られる幸せ感は永遠ですか?言葉で出来ているものは言葉で崩れると思いませんか。それでも大事なのは言葉ですか?それとも、意味ですか?それとも貴方の考えや行動が変わることですか?言葉に何を求めているのですか?言葉は“目的”に“目標”を実現する手段ではありますが、唯一絶対ではありません。大死一番。一度、言葉を捨ててみては如何ですか?安心という言葉や概念と同時に、不安という言葉や概念も消えますよ。何が残りますか。本来無一物ですよね。まあ、坐りましょう。 慧智(060905)
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